【この調査に協力してくださったT・A氏にお礼を申し上げます。】




■□T・A氏について □■
T・A氏は現在72歳の男性です。昭和7年杉並区大宮のお生まれで、現在も杉並区に住んでいます。昭和19年から半年間、学童疎開のため長野県小諸市に居住していましたが、生まれも育ちも東京の、「生え抜き」の方です。 自動車修理工としての48年間を勤め終え、現在は杉並区立郷土博物館の古民家展示場で文化指導員として働いています。(写真は、調査のために勤務先にお邪魔したときのものです。)
※今回のフィールドワークでは世田谷のことばをテーマとした調査が行われていますが、以前来館した際にT・A氏と知り合い、調査の協力をお願いすることができました。

T・A氏はご自身でも杉並の方言につて調査・執筆しており(方言以外のものも調査しておいでです)、「方言」に対しての知識をたくさんお持ちだったため、調査はとてもスムーズに行うことができました。次の内容は、T・A氏にうかがったお話によるものです。



■□ 杉並区の方言について −杉並ことばの歴史−□■
いまでこそ畑や田んぼが少なくなりましたが、交通が発達する以前の杉並は農業を主とする農村地帯でした。
杉並の土着の人たちは「百姓ことば」を話していたそうです。「百姓ことば」とは、「べえべえことば」とも呼ばれるもので、たとえば「そうだんべえ」(そうだろう)/「ちったんべえ」(少しばかり)といったことばのことです。

そこへ、昭和8年に井の頭線が開通したことによって、山の手(今の山の手線西側沿線地域)の人たちがたくさん入ってきました。そういった山の手の人たちの多くは、「山の手ことば」を話していたそうです。「山の手ことば」とは、「標準語」や「共通語」のもととなったことばのことで、もともとは明治政府の中央官僚が話していたことばでした。

こうして東京の中央部に住む人たちと、そのまわりの農村部に住む人たちとが、交通の発達によって交わるようになったのでした。当然ことばに関しても両者の接触があったのでは、と考えることができるのですが、実際のところは土着の人々と新しく入ってきた人々の間に交流はあまりなかったようです。

T・A氏は杉並の方言とは「百姓ことば」だとおっしゃっていました。古くからこの土地で話され、人々の意思を伝えてきたのは農村のことばだったのです。しかしそのことばも今ではあまりみられなくなっています。いま、杉並に生まれ育った若者のことばを聞いても、そこから「百姓ことば」を見つけることは難しいでしょう。

現在の杉並のことばは「百姓ことば」と「山の手ことば」の両方を母胎としています。けれど両者の力関係は明確です。古くから話されてきたことばは、失われつつあります。「山の手ことば」は「共通語」の前身であり、井の頭線の開通とともにはじまった「山の手ことば」の流入は、東京の「共通語化」がはじまった瞬間でもあったのかも知れません。

■□ 図について □■
右の図は、東京で話されてきたことばと杉並のことばに関する簡単な説明です。








■□  調査の結果  □■

ここからはT・A氏に協力していただいた調査によって得られた結果についての報告です。
この調査の調査表はこちら



− 音韻について −

【調査は、「出張」「外出」「宿題」「大根」「大工」 の5つのことばを用いて行いました。】

1.「出張」「外出」「宿題」の3語は、「しゅ」の部分を「しゅ」と発音するか「し」と発音するかを聞きました。

T・A氏の発音は次のとおりでした。
「出張」→「シュッチョウ」と「シッチョウ」の両方。
「外出」→「ガイシツ」と発音。
「宿題」→「シュクダイ」と「シクダイ」の両方。



1985年に行われた調査によって、当時の杉並近辺では高年層の人たちが「し」を多く使い、青年層の人たちが「しゅ」を多く使っていたということがわかっています(『東京都言語地図』(1986)東京都教育委員会)。つまり、この当時、年齢が若くなるにしたがって「しゅ」の使用率が増えていたのです。この調査の行われた当時T・A氏は51歳、中年層の人たちのグループに属していました。高年層の人たちが「し」を使っていた一方、青年層の人たちが「しゅ」を使いはじめ、その間に属していたT・A氏はその両方の言い方を行き来している、ということがここから言えると思います。


2.「大根」「大工」の2語は、「だい」の部分を「だい」と発音するか「でー」と伸ばして発音するかを聞きました。

T・A氏の発音は次のとおりでした。
「大根」→「ダイコン」と発音。
「大工」→「ダイク」と発音。


1985年の同調査からは、高年層の人たちは「でー」と「だい」の両方を使っており、青年層の人たちは「だい」のみを使っていることがわかります。T・A氏は「大根」も「大工」も「だい」を使っていましたが、方言的な言い方として「でーこん」「でーく」という言い方があることは知っていました。ここでも1と同じことが言えるのではないでしょうか。

ただ、1では実際に使用が見られたのに2では「知っている」けれど使用は見られませんでした。このことから1の方言現象に比べて2の方言現象の方が失われる度合いが高い、ということが言えるのではないでしょうか。ここではT・A氏に限ってしか言えませんが、もしかしたら杉並方言全体のこととしても言えるかもしれません。「でーこ」「でーく」はちょっと聞いただけでも「なんかちがうな」と気づきやすい言い方ですが、「がいしつ」や「しっちょう」という言い方はよく聞かないとわからないものです。このことからも、その可能性は高いと思われます。





― 語彙について ―

【調査は、「氷柱」「竹馬」「疲れた」「蝸牛」の4つのことばを用いて行いました。】
【1、2、4の図は実際に調査に使ったものではありません】
【実際に使用した図に関しては調査票を参考にして下さい】

1.「氷柱」について。
1985年の調査によると、当時の高年層は「つらら」という言い方の他に「あめんぼー」という言い方を一部でしていたようです。青年層では「つらら」という言い方のみが使われていました。
T・A氏については「つらら」という言い方しか知らず、「あめんぼー」は聞いたこともない、ということでした。

このことから、当時「あめんぼー」はすでに高年層の、しかもごく限られた地域の人の間でしか使われていなかったのではないか、ということが考えられます。そもそも氷柱がめったに見られない東京です。氷柱に関することばが失われるのが早いのも仕方の無いことかもしれません。



2.「竹馬」について。
「竹馬はたけうまだろう」という答えでした。

「竹馬」は「たけんま」「たかうま」といった言い方があったようなのですが、これらも「あめんぼー」同様、今では見られなくなってしまったようです。「たけんま」「たかうま」等の細かな言い方の違いは、徐々に「たけうま」で統一されていった、ということのようです。



3.「疲れた」について。
1985年の調査からは、高年層で「くたびれた」の使用が見られ、青年層には「くたびれた」と「疲れた」の両方の使用が見られました。
T・A氏に関しては、「疲れた」ということを表すのに使うことばは「しんどい」が一番多いようです。調査する過程で何通りか「疲れた」という意味のことばを使っていましたが、「つかれた」は聞くことがありませんでした。その代わり「くたびれた」が何度か聞かれ、その残存が確認できました。

T・A氏は地域でよく使われていた「くたびれた」に加えて「しんどい」ということばをよく使うようです。その人の周りの環境や交友関係によって使うことばは変わっていくものですから、T・A氏が「しんどい」を多用することにも何らかの要因があるのでは、と想像することができます。



4.「蝸牛」について。
従来は「かたつむり」と「でんでんむし」が同程度見られていましたが、徐々に「かたつむり」で統一されていったようです。1985年の調査によると、青年層ではすでに「でんでんむし」の使用は見られなくなっていました。
T・A氏は一度も「かたつむり」と言うことがなく、「でんでんむし」のみを使っているようです。





■□ お礼とさいごに □■
地域の高齢の方とお話することは、本物の方言に触れる良い機会となります。また、方言調査であることを除いても、人生の先輩として、貴重なお話をたくさん聞かせてもらうことが出来ます。ぜひ、そのような機会をもって欲しいものです。あなたもT・A氏を訪ねてみてはどうでしょうか。
調査へのご協力に対して、T・A氏には重ねてお礼を申し上げたいと思います。

写真/音韻分析・・・池田美穂
本文/語彙分析・・・四方田麻希子
















このページのトップへ


調査報告ページトップへ


ホームへ






日本大学文理学部 2004年度フィールドワーク入門