国文学科2年 髙橋 直希
三川町の住む人々が、方言と共通語を使い分けることについて意識しているのか、また、使い分けは必要と思っているのかを調査し、得られたデータを外住歴の有無と「意識と必要性の関係」の観点から分析した。
アンケートP.6
Ⅸ.方言と共通語を使い分けることについて、各項目の選択肢の中から当てはまるものを1つ選んで○をつけてください。
(1)1.意識している 2.やや意識している 3.あまり意識していない 4.意識していない
(2)1.必要 2.どちらかといえば必要 3.どちらかといえば不必要 4.不必要
全体の回答数164
[有効回答数]
(1)158「意識している」35人 「やや意識している」63人
「あまり意識していない」50人 「意識していない」10人
(2)149「必要」49人 「どちらかといえば必要」77人
「どちらかといえば不必要」16人 「不必要」7人
4.1.(1)の回答結果
図1(n=158)
(2)の回答結果
図2(n=149)
図1の回答結果では最も多いのが「やや意識している」の40%だが、次に多くなっているのが「あまり意識していない」の32%なので、多少なりとも使い分けを意識する場面があることがわかる。また、図2においては、およそ半分の人が「どちらかといえば必要」と回答し、続いて「必要」がおよそ3割を占めているので、かなり多くの人が使い分けの必要性を感じているのがわかる。
今回の調査から、三川町の人々は方言と共通語の使い分けについて全体的に意識していることが多く、使い分けの必要性も感じていることが分かった。使い分け意識については「やや意識している」が多く、次に「あまり意識していない」が多かった。しかし、この2つの間に大きな差があるわけではなく、どちらも少しは気にしている、もしくは気になるときがあるという点で共通している。また、使い分けの必要性については、「どちらかといえば必要」と「必要」が多く、ほとんどの人が必要性を感じている。逆に、使い分けを意識していない人は、その必要性も感じていないことが一緒に行った別の調査からわかった。近年は方言の衰退を心配する声も聞こえてくるが、使い分けを意識し、その必要性も認識されているということは、方言がまだまだ人々の間に残っていることの裏返しではないだろうか。使い分けという形を取ることは、決して方言を捨てるようなことではなく、共通語と共存させるための工夫であり、方言に対する愛着はまだまだ失われていないと考えられる。三川町の方言には歴史と美しさがあるので、これから先も大切に伝えていってほしいと思う。